kotamanegiの取り扱い説明書

のんびり趣味の事を書いてます。

The 2024 ICPC Asia Pacific Championship 参加記

2024年2月29-3月4日に開催されたThe 2024 ICPC Asia Pacific Championshipにチームkotamanegi_marunageで参加し、6完大学別順位14位・全体19位でした。 メンバーはvwxyzさん・kuhakuさん・kotamanegiで、コーチがolpheさんでした。

前準備

航空券の予約メール

olpheさんが体調不良で大会に参加できなくなり、僕がkotamanegi_marunageとkotamanegi_mijingiriの6人分の航空券や宿泊の手配などを行いました。 とりまとめは大変でしたが、非常に良い経験をさせていただきました。

Day 1

初日は、日本からベトナムまで飛行機で移動しました。

行きの飛行機

関空でkotamanegi_marunageとkotamanegi_mijingiriで6人集まり、さらに京大勢の6人とも合流して12人で飛行機に乗りました。

サントリーブランドのTEA+という飲み物。日本のウーロン茶とは違って、とても甘いです。

到着先のベトナムのノイバイ空港では、さっそく海外の甘いウーロン茶の洗礼を浴びました。 サントリーブランドなので安心して飲もうとしたら、とても甘くてびっくりしましたが予想外に美味しかったです。

(左)ホテル (右)ホテルに備え付けのパナソニック製ドライヤー

空港からはICPC運営が用意してくださったバスに乗り込み、今回の宿泊先であるCầu Giấy Hotelに向かいました。 ホテルはとても綺麗で、内装も日本のビジネスホテル並みだったので快適に過ごすことができました。

Day 2

2日目は、開会式やPracticeがありました。

(左)ICPCのチーム写真 (右)開会式会場

バスに乗り込んで着いた開会式会場では、ICPCのチーム写真撮影をしたりベトナムの著名人の話を聞いたりしていました。

(左)コンテスト会場 (右)昼食

開会式の後、コンテスト会場に移動して昼食を摂り、Practiceに参加しました。 昼食はごはん+チキン+汁物という日本でもおなじみの構成で、大変美味しかったです。 Practiceでは会場を飛ぶ謎のドローンや外のクラクションに悩まされながらも無事に全完相当の成績を取ることが出来ました。

Day 3

バスに乗り会場に着き、コンテスト本番を迎えました。

コンテスト本番

滑り出しの戦略は、

  • kotamanegi: PCのセットアップ
  • vwxyzとkuhaku: 問題文を読む

でした。

以下は記憶から掘り起こしてきた時系列情報です。

  • -0:30: コンテスト前にライブラリの一部没収を告げられる。悲しい。
  • 0:00 ジャッジシステムへのログインに失敗する。苦戦していたところ、アナウンスで不具合の連絡があった。
  • 0:10 ジャッジシステムが復旧し、ログインに成功する。
  • 0:30 HをAC。いつの間にか通っていた。Jのコーディングを始める。
  • 0:49 JをAC。ペナルティを1個出したが、順当にうまく通すことができた。
  • 1:21 CをAC。WAが出て苦戦しているのを眺めていたら通っていた。僕がE、他の2人でGの実装を始める。
  • 1:59 GをAC。プレッシャーを感じながらEを書く。
  • 2:06 EをAC。とりあえず一安心し、K問題の実装方法を考えていく。
  • 3:07 FをAC。Kを書き始める。
  • 4:20 Kが書き終わり、提出を始める。TLEではなかったが、WAとなり困り果てる。
  • 5:00 Kが間に合わず、コンテスト終了。

コンテスト後

6完はできたものの、Kが通らなくて悲しい気持ちになっていました。 後日解きなおしをしたところ、答えの保持にint型を使うとオーバーフローしてしまうというのが真相らしいです。 バグの原因がわかって納得の一方、悲しい気持ちが残ります😢


(左)閉会式会場 (右)閉会式のステージ

コンテスト後は市内観光を少し楽しんだ後、閉会式に向かいました。

Day 4

(左)乗船 (右)タコの着ぐるみ

朝5:30に出発するバスでハロン湾に向かい、クルーズ船に乗り込みました。

(左)景観 (右)昼食

景観も食事も良く、満足度が高いクルーズでした。

(左)ティートップ島 (右)頂上の展望台

1つ目のアクティビティでは、ティートップ島の頂上まで400段程度の階段を上るというアクティビティを楽しみました。

スンソット鍾乳洞
2つ目のアクティビティでは、スンソット鍾乳洞の景観を楽しみました。

帰路のベトジェット

往復ともにベトジェットエアというLCCを使ったのですが、遅延することなく定刻通りに運航してくれて良かったです。


振り返り

僕は世間から競技プログラミングの大会では弱くはないけど強くもないという認識をされていると思います。(実際そうだと思います)中学生の頃に競技プログラミングを始めてからというもの、あと少しで国際大会に手が届くという寸前まではいけましたが肝心なところで取りこぼすというもどかしい経験が続いていました。なので今回ベトナムのChampionshipに参加できるという連絡をいただき、初の国際大会に参加できたのは僕自身としても大変嬉しかったです。

これはもう何度も書いたと思いますが、大手前高校時代に競プロのコンテストでチームを組む際も人集めにとても苦労したので、大学へ入学したときにも僕とICPCに出場してくれるような人が出てくるのか心配するほどでした。 高校を卒業する頃は大手前高校はそこそこ競プロをしている人材が増えていたので、その努力がリセットされてしまったような少し切ない気分になっていたと思います。 しかし、気心知れた仲間内でチームを組めたにも関わらず、折角阪大にこたまねぎさんが入学してくれたんだからと先輩に引っ張り上げてもらい、B1の時から予選突破を目指すチームに編成される事になりました。 自主的に勉強会を開いたりと活動も盛んになり、阪大はもしかしたら強くなれるんじゃないかという希望や期待に心が温かくなりました。 同時にもっと強くなって必ず予選を突破しなければいけないというプレッシャーとの闘いも始まりました。 後は前回も書いた通り、何年も1,2チームしか国内予選を通過できなかった阪大が、国内で3チーム、海外の国際大会に2チーム送り出せるほどまで成長を遂げ、今ひそかにWFの繰り上がりを渇望するところまできました。

また、在学中に力を入れた事の1つに阪大の運営の厳しい審査を通過し、阪大公認団体として阪大競技プログラミング部「RAINBOU」を立ち上げたことがあります。 僕としても、ICPCなどの規模の大きなコンテストでのノウハウを知見として積み上げる場としてRAINBOUが有効活用されているのを現在進行形で見てきました。 理想として、競プロerにとって安定した居場所をつくり、今まで蓄積してきた情報を惜しみなく交換できる場を作るということを目指してきました。 申請中、進捗の悪さで途中挫折しかかった時もありましたが、踏ん張って公認を得られてよかったです。

公認団体が活用された例 (出典: https://kowerkoint.hatenablog.com/entry/2024/01/09/220819 )
時代の流れがあるので強くは言えないのですが、これからの阪大競プロ部を支える柱として後輩たちにも頑張ってほしいなと願っています。

最後になりますが、もし僕たちのチームが繰り上げでWFの出場権を得られるような奇跡が起こった場合、その時こそ今回体調不良で参加できなかったコーチのolpheさんと共に、4人揃ったkotamanegi_marunageとして一緒に参加してきたいと思います。WFの出場権が得られた場合、僕が阪大生として戦う最後の場になります。もし出場できる機会があれば皆様応援よろしくお願いいたします。



阪大とIISFの双方から合わせて6人分の旅費などの支援を受けました。 大阪大学最高!